田原の美術 館蔵品展〜近年収集された作品を中心に

開催日 令和元年5月25日(土)〜7月15日(月・祝)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 企画展示室1・2

展示作品リスト

企画展示室1
No. 作品名 制作年 作者名 点数 形状材質等 来歴等
1 渡辺崋山 外洋を望む 1989(平成元)年 1 ブロンズ 移管(H30)
2 紅梅鷺 1940(昭和15)年頃 森 緑翠 1 紙本着彩 寄託(H27)
3 光る線の習作(B) 1954(昭和29)年頃 星野 眞吾 1 紙本着彩 寄贈(H28)
4 和紙(鳥の子)による作品 1963(昭和38)年 星野 眞吾 1 紙本着彩 寄贈(H28)
5 夏の夜の詩 1965(昭和40)年 星野 眞吾 1 紙本着彩 寄贈(H28)
6 闇の中で 1971(昭和46)年 星野 眞吾 1 紙本着彩 寄贈(H28)
7 1992(平成4)年 星野 眞吾 1 紙本着彩 寄贈(H28)
8 遺跡の人 U 1978(昭和53)年 高畑 郁子 1 紙本着彩 寄贈(H30)
9 サンチーの人 1975(昭和50)年 高畑 郁子 1 紙本着彩 寄贈(H28)
10 慈光 1992(平成4)年 高畑 郁子 1 紙本着彩 寄贈(H28)
11 惜春 1988(昭和63)年 大森 運夫 1 紙本着彩 寄贈(H20)
12 浅き春 1995(平成7)年 大森 運夫 1 紙本着彩 寄贈(H20)
13 春の宵 1995(平成7)年 大森 運夫 1 紙本着彩 寄贈(H20)
14 仲秋 制作年不詳 大森 運夫 1 紙本着彩 寄託(H31)
15 佐渡 鬼太鼓頌 制作年不詳 大森 運夫 1 紙本着彩 寄贈(H25)
16 良夜釣客之図 制作年不詳 鵜飼 節夫 1 紙本着彩 購入(H29)
17 天龍峡浦川宿 制作年不詳 鵜飼 節夫 1 紙本着彩 個人蔵
18 釣客之図 制作年不詳 鵜飼 節夫 1 紙本着彩 個人蔵
19 朝輝 制作年不詳 浅田 蘇泉 1 紙本着彩 寄贈(R1)
20 制作年不詳 浅田 蘇泉 1 紙本淡彩 購入(H28)
21 神島 制作年不詳 道家 珍彦 1 紙本着彩 購入(H28)
22 黒山 制作年不詳 渡会 伊良子 1 紙本着彩 購入(H27)
23 KOKORONE 1983(昭和58)年 山口 秀太郎 1 木彫(欅) 寄贈(H24)
24 内なるKOKORONE 1984(昭和59)年 山口 秀太郎 1 木彫(欅) 寄贈(H24)
25 繰り返される記憶 2005(平成17)年 藤城 正晴 1 紙本着彩 個人蔵
26 侵蝕の華 2006(平成18)年 藤城 正晴 1 紙本着彩 個人蔵
27 半島の花(椛のシデコブシ) 2013(平成25)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
28 伊良湖岬・日出の石門 2015(平成27)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
29 国境の街 2004(平成16)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
30 フライアントの家 2012(平成24)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
31 林檎樹 2018(平成30)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
32 果実 2013(平成25)年 平井 誠一 1 油彩画布 寄贈(R1)
33 日出の石門 1957(昭和32)年 彦坂 和夫 3 水彩紙 寄贈(H30)
34 日出園地 1957(昭和32)年 彦坂 和夫 1 水彩紙 寄贈(H30)
35 半島風景 1958(昭和33)年 彦坂 和夫 1 水彩紙 寄贈(H30)
36 田原湾 1958(昭和33)年 彦坂 和夫 1 水彩紙 寄贈(H30)
37 物干し場 1959(昭和34)年 彦坂 和夫 2 水彩紙 寄贈(H30)
企画展示室2
No. 作品名 制作年 作者名 点数 形状材質等 来歴等
38 岡田虎二郎の生涯 2007(平成19)年 松浦 邦治 1 アクリル板 寄贈(H30)
39 仁崎(倭姫命) 2009(平成21)年 松浦 邦治 1 アクリル板 寄贈(H30)
40 崋山先生伝記絵図 2010(平成22)年 松浦 邦治 1 アクリル画布 寄贈(H30)
41 山本右太郎の生涯 2011(平成23)年 松浦 邦治 1 アクリル板 寄贈(H30)
42 漁夫歌人糟谷磯丸伝記絵図 2013(平成25)年 松浦 邦治 1 アクリル画布 寄贈(H30)
43 鈴木菊次郎の生涯 2014(平成26)年 松浦 邦治 1 アクリル画布 寄贈(H30)
44 裏通り(中国 桂林) 2005(平成17)年 横田 準一 1 水彩紙 寄贈(H30)
45 三陸鉄道鳥越駅 2014(平成26)年 横田 準一 1 水彩紙 寄贈(H30)
46 ネパールの少女 2016(平成28)年
以降
横田 準一
中村 田鶴
1 水彩紙 寄贈(H30)

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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作者略歴

松浦邦治(まつうら くにはる) 1938(昭和13)年〜2014(平成26)年

昭和13(1938)年、渥美郡田原町野田(田原市野田町)に生まれる。昭和29年に愛知県立成章高等学校に入学して美術部に所属、油絵とデッサンを大場厚に学ぶ。昭和32年、愛知学芸大学(現、愛知教育大学)美術科に入学して市川晃、細井三男などに師事。昭和33年、教育実習先の豊橋市立中部中学校で指導教官となった大森運夫より美術教育や芸術についての指導を受け感銘する。昭和36年、大学を卒業して教職の道へ進む。以降、様々な教材を使用した美術教育に専念する。昭和41年、サンアイフォトサロンで「第1回写真展−海の造形−」開催。昭和44年には、新設されることとなった田原町立童浦小学校の校章をデザイン。海外(ビルマ)への赴任を経て、昭和50年には、母校でもある田原町立野田小学校へ着任した翌年に「第2回写真展−朝のバザール「ビルマシリーズ」−」を開催。昭和54年には、闘病(腎不全)生活のため休職し、その翌年から週3回の血液透析を余儀なくされる。昭和56年、野田小学校へ復職し、その翌年には「第3回写真展−ふるさと野田−」を開催。(以降、昭和61年の第7回まで写真展を開催)昭和58年、田原静坐会に入会して、岡田式静坐法の指導を受け、静坐の実践を始める。平成8(1996)年退職した翌年に田原文化会館にて、個展「されど我がふる里」を開催。平成15年、豊橋市中央図書館主催の「三遠南信地域資料展」へ渥美の民話「とげのないバラ」を絵と文で紹介。この頃より田原の民話や郷土の偉人を題材にした絵伝の制作に取り組みはじめる。平成17年、岡田虎二郎没後85周年を迎えるのを契機に「岡田虎二郎先生静坐像」を彫塑で制作。同年には、松浦邦治作品集の出版を記念して個展「されど我がふる里U」を田原文化会館で開催。平成26年、逝去。

横田準一(よこた じゅんいち) 1935(昭和10)年〜2017(平成29)年

昭和10(1935)年、渥美郡田原町晩田(田原市田原町晩田)に生まれる。昭和30年に国鉄に入社し、主に線路の修繕や駅舎の設計などを担当した。国鉄在職中は、毎日が多忙であり、興味のあった絵画(水彩画)を本格的にはじめたのは、定年退職後であった。平成16(2004)年、日本水彩画会豊橋支部に入会して研鑽に励み、日本水彩展で「ウズベキの男」が入選し、平成28年には日本水彩画会会友となる。風景画の中でも元国鉄職員だった経験を活かした全国各地の鉄道駅舎を描いた水彩画を得意とした。浜松市南区に在住。平成29年、逝去。

森緑翠(もり りょくすい) 1917(大正6)年〜1999(平成11)年

大正6(1917)年、東京都江東区に生まれる。本名は博。昭和5(1930)年、中村岳陵に師事し蒼野社に入門。昭和10年の院展、12年の新文展に初入選、昭和18年の新文展では、特選となる。前年の17年より一采社同人、昭和22年には、日展に初入選を果たし、日展・一采社展をその活動の拠点とする。昭和24年、肺結核が悪化し制作活動を中断。翌年、中村正義や浅田蘇泉夫妻の尽力により渥美郡泉村石神(田原市石神町)で転地療養。昭和32年、豊橋市に転居。昭和34年、新日展で特選、翌年無鑑査となる。昭和35年、蒼野社を脱退。その翌年に我妻碧宇・浅田蘇泉・伊東隆雄・永井繁男らと白士会結成。白士会展を中心に出品を続けるほか、中部選抜展、中日展など当地方の展覧会を中心に活躍。昭和52年、白士会顧問。昭和55年の豊橋文化賞をはじめ多くの賞を受賞。平成6(1994)年、豊橋市美術博物館で「森緑翠展」を開催。平成11年、逝去。

星野眞吾(ほしの しんご) 1923(大正12)年〜1997(平成9)年

大正12(1923)年、豊橋市魚町で生まれ、豊川市牛久保町で育つ。昭和19(1944)年、京都市立絵画専門学校図案科を終了後、同校日本画科へ再入学。昭和23年、同科を卒業して教職の道へ。三上誠、山崎隆らと前衛グループ・パンリアルを創立。翌年には、京都市立絵画専門学校日本画科卒業生らによるパンリアル美術協会を新たに発足、以後30年にわたり同会の主力メンバーとして日本画の枠を超えた実験的な作品を発表した。昭和25年、教職を退き帰郷。昭和28年の中美展で佳作賞、東三河在野美術協会に参加。昭和37年、第5回中部日本画総合展で最優秀賞を受賞。昭和39年、父親の死が契機となり<人拓>と称する独自の画法を考案。同年には、中村正義とともに日本画研究会に参加。昭和46年から東京造形大学で非常勤講師を勤める(〜48年)。昭和49年、中村正義、斎藤真一らと从会を結成。昭和52年には、パンリアル美術協会を退会。昭和60年の三上誠・星野眞吾U人展(福井県立美術館)をはじめ、多くの展覧会に出品。平成5(1993)年、名古屋芸術大学特別任用教授となり、翌年には豊橋文化賞を受賞。平成8年、「星野眞吾展」が豊橋市美術博物館と新潟市美術館で開催される。平成9年、逝去。迫真的な写実描写を取り入れた幻想的な空間を創りあげた画家である。

高畑郁子(たかはた いくこ) 1929(昭和4)年〜

昭和4(1929)年、千葉県印旛郡に生まれる。生後10ヶ月で父を亡くし、父母の郷里であった豊橋市に転居。昭和18年、豊橋市立高等女学校に入学し、石川新一に水彩画を学ぶ。昭和23年、同校を卒業した翌年頃には石川新一を通じて中村正義と知り合い日本画を始める。昭和26年、中村正義、星野眞吾、平川敏夫・大森運夫と画塾「中日美術教室」をはじめ、同年の第15回新制作展に初入選、以後同展に入選を重ね、中美展、東三在野美術展などにも出品。昭和34年、第13回女流画家協会展で女流画家協会賞を受賞。昭和39年には、星野眞吾と結婚。昭和49年、新制作協会日本画部が創画会として発足して以後同展に出品。この頃よりインドの情景に仏やヒンドゥーの神々を融合させた作品を制作しはじめる。昭和51年、創画展で創画会賞を受賞(53、55年も受賞)。このほかにも数多くの展覧会に出品して賞を受賞する。昭和56年、創画会会員に推挙。昭和62年には、第10回愛知県芸術文化選奨文化賞、平成21(2009)年豊橋文化賞、平成27年第67回愛知県表彰を受賞。平成28年に開催された「星野眞吾と高畑郁子展」(中部ガス名豊ギャラリー)を契機に星野と自身の作品を田原市へ寄贈した。

大森運夫(おおもり かずお) 1917(大正6)年〜2016(平成28)年

大正6(1917)年、豊川市に生まれる。昭和12(1937)年岡崎師範学校を卒業し教員となる。昭和25年、中村正義に影響され日本画をはじめる。翌年、第15回新制作展、第7回日展に初入選。昭和37年には教員を辞め、川崎市に転居して画業に専念。同年、第26回新制作展で新作家賞を受賞(以後3回受賞)。この頃より現代日本美術展、現代美術選抜展、日本国際美術展などに出品。昭和46年には、愛知県立芸術大学講師となる。同年、新制作協会会員。昭和47年、新鋭選抜展で優秀賞。昭和49年、新制作協会日本画部が独立して創画会となると会員となり、以後創画展を中心に出品を続ける。翌年、第3回山種美術館賞で大賞を受賞。個展多数。労働者、民俗芸能や祭、浄瑠璃人形などをテーマに一貫して人間像を描き続けてきた。平成28年、逝去。

鵜飼節夫(うかい せつお) 1902(明治35)年〜1983(昭和58)年

明治35(1902)年、渥美郡野田村(田原市野田町)に生まれる。日本美術学校を卒業後、小茂田青樹に師事するほか、堅山南風に学ぶ。昭和5(1930)年、第17回日本美術院展(再興院展)に初入選。昭和8年、院友となり、再興院展に20回あまり入選する。昭和53年には、院展特待となり、翌年からは無鑑査出品。東京の世田谷区に居を構えて作画活動を行った。郷里の野田には、公民館や中学校などにその作品が残る。昭和58年、逝去。

浅田蘇泉(あさだ そせん) 1911(明治44)年〜2001(平成13)年

明治44(1911)年、名古屋市に生まれる。本名は正次郎。はじめ一江芳秋に学び、のち鯉の絵を得意とする松田杏亭に師事する。この影響により自身、鯉の絵を多く描く。昭和21(1946)年、満州より復員し渥美郡福江町福江(田原市福江町)に居を構える。翌年、中村岳陵に師事し蒼野社に入門。昭和23年、日展に初入選(以後12回連続入選)、さらに翌年には院展にも初入選を果たす。昭和35年、蒼野社を脱退。その翌年に我妻碧宇・伊東隆雄・永井繁男・森緑翠らと白士会結成。白士会展を中心に出品を続けるほか、名古屋・東京・豊橋などで個展を開催。昭和61年、渥美町郷土資料館特別展「郷土の画人展」に出品、平成3(1991)年には同館で「傘寿展」を開催。渥美を拠点に作画活動をした先駆者的存在である。平成13年、逝去。

道家珍彦(どうけ うずひこ) 1934(昭和9)年〜

昭和9(1934)年、名古屋市に生まれる。昭和28年、旭丘高校美術科卒業。同年新制作展に初入選。その後、愛知学芸大学(現、愛知教育大学)に進み、日本画を学ぶ。卒業後は、尾張地方の小・中学校で美術教師をしながら作画活動。昭和38年、中美展で奨励賞。昭和40年には、白士会展で白士会賞、翌年白士会会員となる。我妻碧宇に師事。以後、白士会展を中心に出品を続けるほか、名古屋、東京、豊橋などで個展を開催。昭和47年、シルクロード踏査旅行を契機に「シルクロードをゆく」シリーズ化(T〜]Uまで)。昭和55年、渥美の自然風景に魅かれ、名古屋より渥美町堀切(田原市堀切町)に移住。平成4(1992)年、個展「渥美をかく」を東京紀伊国屋画廊で開催後、シリーズ化(T〜Xまで)。平成5年、渥美町郷土資料館で「道家珍彦個展」、平成10年、「渥美をかく自選展」を同館にて開催。平成22年、田原市博物館にて新春企画展「道家珍彦展」、平成28年には、春の企画展「田原の美術 道家珍彦展−シルクロードと渥美−」を開催。渥美の風景とシルクロードをテーマに活躍する画家である。

渡会伊良子(わたらい いらこ) 1909(明治42)年〜1994(平成6)年

明治42(1909)年、渥美郡伊良湖岬村堀切(田原市堀切町)に生まれる。昭和10(1935)年、東海美術展に入選。昭和12年には、名古屋汎太平洋平和博覧会美術展に入選する。昭和17年、川端龍子主宰の青龍社展に初入選。昭和21年、青龍社社子、同24年社友、同38年社人(審査員)となる。その間、入選21回、春展24回入選。青雲賞1回、春展5回、奨励賞3回受賞。昭和41年、青龍社解散。社人11名にて東方美術協会を設立し、同会を中心に出品を続けるほか、中部国際形象展、ドイツ展などへ出品、個展等も開催。昭和47年、昭和天皇御来県の際の宿舎三ヶ根グリーンホテル玉座襖絵を揮毫。昭和61年、渥美町郷土資料館特別展「郷土の画人展」に出品。平成3(1991)年、同館で「渡会伊良子作品展」を開催し、大作の多くを館へ寄贈。山岳風景を得意とした画家である。平成6年、逝去。

彦坂和夫(ひこさか かずお) 1935(昭和10)年〜

昭和10(1935)年、渥美郡田原町田原(田原市田原町)に生まれる。田原中学校で仲谷孝夫に美術の指導を受け、愛知県立成章高等学校へ進み、行動美術協会会友の大場厚に学んだ。昭和28年、大潮会学生の部特選を受賞し、翌年武蔵野美術学校西洋画科に進学。昭和32年、行動美術展入選、昭和36年には、行動美術展奨励賞を受賞し、翌年会友となる。昭和55年、行動美術協会を退会して翌年から環境保護活動への取り組みを開始。その意識は、非絵画としての立体芸術に及び、東京都江東区からの依頼による護岸壁画・モニュメントなどで自然と歴史の大切さを訴え続けている。平成23(2011)年田原市博物館にて夏の企画展「彦坂和夫展」を開催、作品17点を寄贈した。

山口秀太郎(やまぐち ひでたろう) 1951(昭和26)年〜

昭和26(1951)年、豊橋市に生まれる。愛知教育大学美術科卒業後、県内高等学校の美術教師となるも制作活動を続ける。昭和48年、紀伊長島彫刻シンポジウムに参加。昭和51年、ギャラリータケガにてOur Form Exhibition・彫刻二人展を開催。昭和53年、第28回モダンアート展に初出品、以後毎年出品。昭和55年、モダンアート中部作家賞中日賞を受賞し、翌年には、モダンアート協会新鋭作家展に選抜出品される。昭和57年、モダンアート協会会友に推挙。昭和61年、モダンアート明日への展望展へ選抜出品(昭和63年も選抜出品)。郷里の豊橋市美術博物館にて個展開催。昭和63年には、モダンアート協会会員に推挙。その後も数多くの展覧会に作品を出品。平成12(2000)年の国民文化祭ひろしま2000美術展で広島県知事賞受賞。平成18年、浜松市秋野不矩美術館にて個展、同年には豊川市桜ヶ丘ミュージアムで開催の東三河の作家たち展にも出品。現在も精力的に制作活動を続けられている。田原市内の愛知県立成章高等学校在職中に田原市博物館協議会の委員を委嘱(平成21年7月〜平成25年7月)されたのを契機として、自身の作品を田原市へ寄贈した。

藤城正晴(ふじしろ まさはる) 1983(昭和58)年〜

昭和58(1983)年、田原市豊島町に生まれる。平成17(2005)年、愛知県立芸術大学美術学部美術科日本画専攻を卒業し、財団法人佐藤国際文化育英財団第15期奨学生となる。平成18年、画廊宮坂にて三人展を開催。第12回松伯美術館花鳥画展に「侵蝕の華」(今回展示)を出品して優秀賞を受賞すると、同年の第61回春の院展で初入選(66回、67回も入選)、第91回院展でも初入選(92回も入選)を果たし、第15回奨学生美術展(佐藤美術館)にも作品を出品。平成19年、愛知県立芸術大学大学院美術研究科日本画専攻修了、翌年には同大学研修課程も修了。平成21年、古川美術館にて開催の「日本画の今 若手作家の挑戦」出品、翌年銀座スルガ台画廊にて「レスポワール展 藤城正晴個展」開催。以後現在までに、展覧会への出品や関東・関西の百貨店の画廊を中心に個展を毎年開催している。平成23年には、愛知県立芸術大学非常勤講師(〜平成26年)。平成31年、そごう横浜にて「藤城正晴 日本画展」を開催。現在、日本美術院院友で、活躍が期待される市内出身の若手作家である。

平井誠一(ひらい せいいち) 1948(昭和23)年〜

昭和23(1948)年、渥美郡福江町古田(田原市古田町)に生まれる。愛知県立福江高等学校在学中は美術部に所属し、絵画制作に励み、卒業後の昭和43年には、春陽展に初入選。翌年の中部春陽展では新人賞、昭和46年の中部春陽展で研究賞(翌年も同賞受賞)、昭和47年には、第49回春陽展で新人賞を受賞して、画家としての道を歩み始めた。昭和55年、愛知教育大学大学院を修了した同年には、第57回の春陽展で準会員となる。昭和60年、稲沢女子短期大学(現、愛知文教短期大学)の緞帳原画を制作。平成元(1989)年の第66回春陽展で会員に推挙され、現在までに春陽展を中心に出品を続けるほか、平成3年第8回伊藤廉記念賞展、平成6年文化庁現代美術選抜展、平成17年「愛・地球博」記念万博百景展をはじめ、中日ギャラリー、名古屋三越栄店、新宿三越、松坂屋名古屋店などで個展を開催している。平成13年からは、中日新聞社の主催する「風景の会絵画展」へも出品を続け、平成18年には、郷里の田原市渥美郷土資料館特別展「渥美半島を描く」や翌年の豊橋市美術博物館で開催された「東三河の美術展」にも郷土出身の画家の一人として作品を出品するなど、現在もアトリエのある稲沢市を中心に精力的な作画活動をしている。平成30年、郷里の田原市博物館と田原市渥美郷土資料館にて企画展「田原の美術 平井誠一展〜色彩思考の変遷〜」が開催され、作品を本年度寄贈予定である。

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