平常展 田原の歴史〜田原藩
展示期間 平成18年3月23日(木)〜平成18年4月23日(日)
展示作品リスト
企画展示室2
指定 作品名 作者名 年代 備考
  晁吟
(ちょうぎん)
伊藤鳳山
(いとうほうざん)
慶応3年(1867) 竹内稔弘・
文子寄贈
  詩書
(ししょ)
鳳来山蟄龍上人
(ほうらいさんちつりゅうしょうにん)
明治元年(1868) 個人蔵
  伊藤鳳山絶筆
(いとうほうざんぜっぴつ)
伊藤鳳山 明治3年(1870) 個人蔵
  詩書屏風
(ししょびょうぶ)
伊藤鳳山 明治2年(1869) 個人蔵
  詩書屏風 伊藤鳳山 江戸時代後期 六曲一双
  経国無是問答
(けいこくむぜもんどう)
伊藤鳳山 嘉永6年(1853)  
  傷寒論文字攷続
(しょうかんろんもじこうぞく)
伊藤鳳山 嘉永6年(1853) 2冊
  学半楼十幹集
(がくはんろうじゅっかんしゅう)
伊藤鳳山 天保13年(1842) 3冊
  学半楼十幹集乙篇・丙篇
(がくはんろうじゅっかんしゅう
おつへん・へいへん)
伊藤鳳山 天保15年(1844) 3冊
  孫子詳解
(そんししょうかい)
伊藤鳳山 文久2年(1862) 13冊
  肥前佐賀住國廣
(ひぜんさがじゅうくにひろ)
    伊藤家伝来
わきざし

※ 期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、
 照明を落としてあります。ご了承ください 。

作者の略歴
●伊藤鳳山[いとう ほうざん]
 文化3年(1806)〜明治3年(1870)に没す。
 羽後国(うごのくに)酒田本町三丁目の町医伊藤維恭(いきょう)(医業のかたわら鹿鳴塾を経営、儒学を指導)の家に生まれた。名を馨、字は子徳、通称大三郎。鳳山・学半楼と号した。江戸に出て朝川善庵(1781〜1849)塾に入り、諸大名に講書に出る儒者となる。名古屋の医師浅井塾に入り、医を学び、塾頭となる。天保9年(1838)崋山の推挙により、田原藩校成章館教授に迎えられ子弟の教育につくす。二年にして辞し京都−江戸にて塾「学半楼」を開くが、元治元年(1864)田原藩主より要請を受け、生涯を田原に終える決心をもって応じる。明治3年1月23日田原に没す、65歳。著書多数あり。田原藩には過ぎたる大儒であった。
 
作品紹介
●詩書 鳳来山蟄龍上人[ししょ ほうらいさんちつりゅうしょうにん]
鳳山は63歳にして初めて子供ができた。その知らせを夏の避暑に来た鳳来寺山で聞く。蟄龍は号で、姓を松井、名を圓潭と言った。尾張の武士の息子で、江州坂本の神職で、詩に長じていた。
●伊藤鳳山絶筆[いとうほうざんぜっぴつ]
煖衣飽食逸居身 今歳亦斯為客臣 幸恵深蒙不知乏 歓迎六十五年春
逢新奉謝公之深恵  六十五翁鳳山伊藤馨拝稿
●経国無是問答[けいこくむぜもんどう]
 嘉永6年(1853)6月、アメリカのペリーが浦賀に来航し、国書を提出した。7月、幕府は諸侯に対外意見を求めたため、翌月に尊王開国を唱えた書物を完成した。その自筆本である。奥書に「此書癸丑八月念日 因多紀楽眞院法印奉閣老阿部伊勢守 同因水戸藩士鴨志田傳五郎奉景山老侯 尋作興國九経策一篇再奉 時九月年四日也」とある。
 
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