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漢高祖 食其見図
かんこうそれきいきをまみゆるず |
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天保2年(1831) |
落款に「天保弐季四月作於全楽堂 崋山登」とあり、天保2年4月に完成したことが分かる。天保2年の崋山の日記である『全楽堂日録』(愛知県指定文化財・個人蔵)の3月29日の項に「写沛公見食其図」とあり、続いて4月7日の項に「沛公見 生図成」と記されている。高祖とは、前漢の初代皇帝である劉邦のことである。劉邦は農民から出て、泗水の亭長となり、秦末に兵を挙げ、項梁・項羽らと合流して楚の懐王を擁立し、巴蜀・漢中を与えられて漢王となった。後に項羽と争ったが、前202年に破って天下を統一した。長安に都を移して漢朝を創立した(在位前202〜前195)(前247〜前195)。また 食其(?〜203)は秦末・漢初の論客で、劉邦に仕え、斉の国を説得して70余城を手に入れた。この図は臣下に入る前の 食其が劉邦を訪ねてきた場面を描いている。女官に足を洗わせながら、謁見したために 食其にたしなめられた故事を描いたものである。中国画の原本の存在も感じさせる作品であるが、崋山が人物表現をする際に多用する素早いシャープな線が好ましい。これらの中国の故事を描いた際の落款は隷書体が多く用いられるが、この作品もその例に漏れない。 |
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員数:一幅
材質彩色:絹本着色
法量(cm):113.4×41.9
平成9年購入 |
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