平常展 新収蔵品展

開催日 平成23年4月2日(土)〜平成23年5月15日(日)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
会場 特別展示室1、特別展示室2

掛軸や漆塗りの工芸品・古銭なども展示します。

展示作品リスト

企画展示室1
No. 作品名 作家名 年代 備考
24 瀑布観音図 高久靄厓 天保元年(1830) 小澤耕一氏収集資料
  水墨岩蘭図 鈴木鵞湖 安政2年(1855) 平成17年購入
6 淡彩雪景 福田半香 安政5年(1858) 小澤耕一氏収集資料
14 南天鵯 之図 小田莆川 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料
  水墨孔雀図 小田莆川 江戸時代後期 平成21年購入
  崋山長英両先生詠歌 渡辺崋山
高野長英
天保年間 稲垣哲行氏寄贈
  関羽之図 渡辺崋山 天保10年(1839) 個人蔵
  八家合作書画 岡本秋喗
椿 椿山
小田莆川
平井顕斎
高久隆古
萩原秋巌
大竹培造
ほか
江戸時代後期 個人蔵
10 季札挂剱之図 高久隆古 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料
26 暁 天叭々鳥 高久隆古 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料
7 双蘭之図 渡辺小華 明治14年(1881) 小澤耕一氏収集資料
46 國色無雙(牡丹之図) 渡辺小華 明治時代前期 小澤耕一氏収集資料
寄− 梅・山水・松・漢詩貼交屏風 渡辺小華 明治8・9年(1875・1876) 個人蔵
  双羊之図 大橋翠石 昭和時代前期 個人蔵
11 歳寒明雪 田崎草雲 明治20年(1887) 小澤耕一氏収集資料
16 枯木山水之図 井村常山 明治44年(1907) 小澤耕一氏収集資料
69 法雪舟鐘馗図 鏑木華国 昭和時代前期 小澤耕一氏収集資料
33 富士之図 狩野探雪 江戸時代前期 小澤耕一氏収集資料、1655-1714、探幽の二男
67 大根蕪之図 鈴木拳山 明治時代後期 小澤耕一氏収集資料
  枝銭 文久永宝     鈴木敏雄氏収集資料
10対21枚×2枝(42枚)
  馬蹄銀     鈴木敏雄氏収集資料
22 渓瀑之図 白井烟嵓 昭和時代 小澤耕一氏収集資料
19 鐘馗嫁妹 渡辺崋山 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料
  草稿「雑草について」 杉浦明平   平成22年購入
  荒正人宛ハガキ 杉浦明平 昭和37年(1962)
昭和39年(1964)
昭和45年(1970)
荒このみ氏寄贈
  避疫要法 高野長英 著 天保7年(1836) 平成17年購入
27 白蓮 扇面図 平井顕斎 嘉永3年(1850) 小澤耕一氏収集資料
20 石榴花 椿 華谷 江戸時代後期 小澤耕一氏収集資料
8 蓮葉翡翠 渡辺小華 明治時代前期 小澤耕一氏収集資料
4 鷹鶉蒔絵硯箱     鈴木敏雄氏収集資料
6 組違蒔絵箱・内蓋式     鈴木敏雄氏収集資料
5 葵紋付手箱(葵紋付唐獅子牡丹蒔絵)     鈴木敏雄氏収集資料
1-1 料紙箱     鈴木敏雄氏収集資料
  薩埵冨士図 中林竹洞 天明7年(1787) 個人蔵
古銭
21 慶長丁銀    慶長1596〜1615 鈴木敏雄氏収集資料
6 宝永丁銀   宝永1704〜1711 鈴木敏雄氏収集資料
29 正徳丁銀    正徳1711〜1716 鈴木敏雄氏収集資料
23 寛永丁銀 十二大黒銀    寛永1624〜1644 鈴木敏雄氏収集資料
27 元禄十二大黒丁銀    元禄1688〜1704 鈴木敏雄氏収集資料
30 享保十二大黒丁銀    享保1716〜1736 鈴木敏雄氏収集資料
10 元文丁銀(十一大黒)    元文1736〜1741 鈴木敏雄氏収集資料
13 文政十二大黒丁銀    文政1818〜1830 鈴木敏雄氏収集資料
31 天保十二大黒丁銀    天保1830〜1844 鈴木敏雄氏収集資料
32 政字(安政)十二大黒丁銀    安政1854〜1860 鈴木敏雄氏収集資料
33 萩銀判      鈴木敏雄氏収集資料
35 天保二朱金   天保1830〜1844 鈴木敏雄氏収集資料、10枚
  渡辺崋山先生伝記絵図 松浦邦治 平成22年(2010) 松浦邦治氏寄贈
  江崎邦助巡査遺品
墓表拓本
サーベル
  明治時代 江崎孝氏寄贈
刀装具
9-1 頭(小突起柄) 吉家   鈴木敏雄氏収集資料
9-1 切羽(藤絞)     鈴木敏雄氏収集資料
9-2 頭(船上武将柄)     鈴木敏雄氏収集資料
9-2 切羽(両側船上武 将柄)     鈴木敏雄氏収集資料
9-3 目貫(役者柄)     鈴木敏雄氏収集資料
9-3 目貫(武者柄)     鈴木敏雄氏収集資料
9-4 目貫(獅子)     鈴木敏雄氏収集資料
9-4 目貫(龍)     鈴木敏雄氏収集資料
9-5 笄(鳳凰・桔梗・草)     鈴木敏雄氏収集資料
9-6 小柄(鳳凰・桔梗・草)     鈴木敏雄氏収集資料
9-7 目貫(鳳凰前向き)     鈴木敏雄氏収集資料
9-8 目貫(鳳凰見返り)     鈴木敏雄氏収集資料
9-9 頭(海老柄)     鈴木敏雄氏収集資料
9-9 切羽(海老・笹柄) 弘光   鈴木敏雄氏収集資料
9-10 小柄(笛持ち唐人)     鈴木敏雄氏収集資料
9-11 目貫(果物・金紋縦)     鈴木敏雄氏収集資料
9-11 目貫(果物・金紋横)     鈴木敏雄氏収集資料
9-12 目貫(像・濱野銘入り) 濱野矩随   鈴木敏雄氏収集資料
9-12 目貫(像・矩随銘入り)     鈴木敏雄氏収集資料
9-13 目貫(大黒亀乗像)     鈴木敏雄氏収集資料
9-13 目貫(大黒休息像・起龍軒銘入り)     鈴木敏雄氏収集資料
9-14 小柄(草花柄・光守花押入) 即乗   鈴木敏雄氏収集資料
9-15 頭(翼竜波浪)     鈴木敏雄氏収集資料
9-15 切羽(翼竜波浪)     鈴木敏雄氏収集資料
9-16 頭(笹藤・朝顔)     鈴木敏雄氏収集資料
9-16 切羽(笹藤・朝顔)     鈴木敏雄氏収集資料
7-1 木製円柱型印籠3段、寝付:栗と鼠(友正銘入り) 喜多川入道宗典   鈴木敏雄氏収集資料
7-2 真鍮薬籠型印籠3段組、風神・鷹、雷神・蟹、根付:邪鬼(木製)     鈴木敏雄氏収集資料
7-3 真鍮薬籠型印籠4段組、女人3人と桜、根付:獅子(象牙製)     鈴木敏雄氏収集資料
11-1 藻柄子入道宗典鉄地長丸形高彫武将図     鈴木敏雄氏収集資料
11-2 鉄地木瓜形高彫桜竹に尾長鳥図     鈴木敏雄氏収集資料
11-3 鉄地長丸形透し蔓図     鈴木敏雄氏収集資料
11-4 鉄地長丸形龍透し両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-5 鉄地長丸形松透し両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-6 鉄地木瓜形蔓平象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-7 鉄地木瓜形橋上人物雲龍図     鈴木敏雄氏収集資料
11-8 鉄地木瓜形松図     鈴木敏雄氏収集資料
11-9 鉄地長丸形山に飛鳥唐人図     鈴木敏雄氏収集資料
11-10 鉄地円形糸目     鈴木敏雄氏収集資料
11-11 鉄地木瓜形荒波     鈴木敏雄氏収集資料
11-12 鉄地円形高彫川に三牛図銀象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-13 山銅長丸形高彫松図     鈴木敏雄氏収集資料
11-14 鉄地六ツ木瓜形山に船上人物図 山代國 金家   鈴木敏雄氏収集資料
11-15 鉄地円形透し竹図金象嵌 武州住 正方   鈴木敏雄氏収集資料
11-16 鉄地円形透し彫     鈴木敏雄氏収集資料
11-17 鉄地円形露草図透し彫 江府住 満喜   鈴木敏雄氏収集資料
11-18 鉄地菊形輪宝金象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-19 鉄地円形菊花図透し彫 梅 重義   鈴木敏雄氏収集資料
11-20 鉄地長丸形高彫鳥居に松武将馬図両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-21 鉄地撫角形丸波紋金象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-22 鉄地円形波図 紀宗政   鈴木敏雄氏収集資料
11-23 鉄地円形蔓草図透し彫     鈴木敏雄氏収集資料
11-24 鉄地長丸形蘆鷺図金銀象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-25 鉄地円形雲龍図透し彫両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-26 鉄地円形蔓草図透し彫金象嵌両櫃 越前住 紀内作   鈴木敏雄氏収集資料
11-27 鉄地円形萩水仙図高彫象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-28 鉄地撫角形蝙蝠図象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-29 鉄地撫角形竹林虎図象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-30 鉄地円形縄に阿古屋貝象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-31 鉄地円形枝図象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-32 鉄地撫角形舵図象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-33 鉄地円形松に柱図高彫象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-34 鉄地円形藤花図     鈴木敏雄氏収集資料
11-35 鉄地円形唐草図透し彫 紀州住 貞命   鈴木敏雄氏収集資料
11-36 鉄地木瓜形蔓草紋金象嵌両櫃 會津住 正阿弥   鈴木敏雄氏収集資料
11-37 鉄地円形橋下笹図金象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-38 鉄地木瓜形波紋高彫金象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-39 鉄地円形蔓草金象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-40 鉄地円形五丸     鈴木敏雄氏収集資料
11-41 鉄地円形月に秋草飛蝗金銀象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-42 鉄地円形筋紋金象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-43 鉄地木瓜形柳図金象嵌両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-44 鉄地菊形蔓図透し彫金象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
  鉄地菊形蔓図透し彫金象嵌     鈴木敏雄氏収集資料
11-45 鉄地菊形松図透し彫両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
  鉄地菊形松図透し彫両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
11-46 赤銅長丸形松に鷲小禽図     鈴木敏雄氏収集資料
  赤銅長丸形松に鷲小禽図     鈴木敏雄氏収集資料
11-47 鉄地菊形菊紋両櫃     鈴木敏雄氏収集資料
  鉄地六つ木瓜形波に花図     鈴木敏雄氏収集資料
  門田之栄 大蔵永常著
渡辺崋山画
  小澤耕一氏収集資料
  大蔵永常宛書簡 渡辺崋山 天保6年(1835) 個人蔵
  画帖 谷文晁ほか 江戸時代後期 4冊、個人蔵
2-2 扇面蒔絵御硯箱     鈴木敏雄氏収集資料
2-1 扇面蒔絵御文臺     鈴木敏雄氏収集資料

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。

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鈴木敏雄氏収集資料について

鈴木敏雄氏は、大正5年旧赤羽根町の赤中区(現田原市赤羽根町西瀬古)に生まれ、幼少の頃から学業に励み、豊橋市旭本町に鈴木眼科医院を開業されました。氏は、眼科医を営むかたわら美術品等を収集されました。その後、赤羽根文化会館展示室設立を機に、「生まれ故郷である、赤羽根の人たちの文化振興に役立てたい」と、平成9年に118点の陶磁器等を寄贈されました。その後、赤羽根町が田原市と合併された平成15年にも48点を寄贈、没後、平成22年に遺族から寄贈された788点の資料から刀装具、古銭、工芸品を展示します。

小澤耕一氏収集資料について

小澤耕一氏は、明治43年田原町萱町に生まれ、岡崎師範学校卒業後、小学校の教員を勤めながら、赤羽根町史・田原町史の編さん、田原町文化財保護審議会委員も勤め、渡辺崋山をはじめとした郷土の歴史を研究しました。また、財団法人崋山会の理事も務め、渡辺崋山の顕彰活動にも尽力されました。著書として『崋山渡辺登』(崋山会発行)、『渡辺崋山研究−田原藩周辺と画論を中心に』(日本図書センター発行)、『渡辺崋山集』(日本図書センター発行)など。昭和56年田原町町政功労者、平成11年東海テレビ文化賞受賞。平成20年没。

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作者の略歴

作者 年代 略歴
高久靄厓 1796〜1843 谷文晁門下、渡辺崋山の友人
鈴木鵞湖 1816〜1870 谷文晁門下
福田半香 1804〜1864 渡辺崋山の弟子、遠州見附出身
小田莆川 1805〜1846 渡辺崋山の弟子
高野長英 1804〜1850 渡辺崋山の友人、蘭学者
岡本秋喗 1807〜1862 渡辺崋山の友人、小田原藩士
椿 椿山 1801〜1854 渡辺崋山の弟子
高久隆古 1810〜1858 高久靄厓の養子
渡辺小華 1835〜1887 渡辺崋山の二男
大橋翠石 1865〜1945 渡辺小華の弟子、大垣出身
田崎草雲 1815〜1898 南画家、足利出身
井村常山 1840〜1925 渡辺小華の弟子
鏑木華国 1868〜1942 渡辺小華の弟子
白井烟嵓 1894〜1976 椿椿山−野口幽谷−松林桂月の弟子、豊橋出身
平井顕斎  1802〜1856 渡辺崋山の弟子、遠州榛原出身
椿 華谷 1825〜1850 渡辺崋山の弟子、椿椿山の子
大蔵永常 1768〜1861 田原藩に雇われた農学者、日田出身
杉浦明平 1913〜2001 田原市折立町、小説家

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展示作品リスト

企画展示室2
No. 作品名 作者 年代 点数 備考
1 漢字一字「夢」 山本翠蹊   1幅  
2 漢字三字「花竹秀」(蘇東坡) 山本翠蹊   1幅  
3 五言二句「去國三巴遠 登樓萬里春」(盧僎) 山本翠蹊   1幅  
4 漢字二字「復本」 山本翠蹊   1幅  
5 漢字五字「日々是好日」 山本翠蹊   1幅  
6 「小夜更けてくりやにさがす一合の酒飲みて吾は眠らんとする」(室生犀星) 山本翠蹊   1幅  
7 「いはみのやたかつのやまのこのまよりわがふるそでをいもみつらむか」(柿本人麻呂) 山本翠蹊   1面 万葉集巻2-132
8 「更級日記」十一より 山本翠蹊   1面  
9 漢字一字「知」 山本翠蹊   1面  
10 漢字一字「観」 山本翠蹊   1面  
11 貼り交ぜ屏風(「虚」「木人」「大虚」「放下」) 山本翠蹊   四曲一隻  
12 白妙 鈴木翠軒   1面  
13 俳句一首「夢に入る恋も恨も昔にて」 鈴木翠軒   1面  
14 七言二句「南去北来人自老 夕陽長送釣船帰」(杜牧) 鈴木翠軒   1面  
15 漢字二字「漱露」 鈴木翠軒   1面  
16 山本翠蹊宛鈴木春視(翠軒)書簡 鈴木翠軒   1幅 12月11日付
17 山本翠蹊宛鈴木春視(翠軒)書簡 鈴木翠軒   1面 6月9日付
18 畠神社 御墨印之写 戸田氏経   寛文10(1670)年11月15日 1枚  
19 畠神社 御墨印之写 戸田氏利   天和2(1682)年7月5日 1枚  
20 奥渥美探勝 県立公園 伊良湖岬の勝景   昭和26(1951)年以降 6枚  
21 観光の奥渥美 第二集 奥渥美観光協会 昭和26(1951)年以降 5枚  
22 五月節句飾り   昭和43(1968)年 1式  
23 座敷幟     1式  
24 兜飾り     1式  
25 兜飾り   昭和57(1982)年 1式  

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください 。

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作品略歴

山本翠蹊(やまもと すいけい)1903(明治36)年〜1990(平成2)年

明治36年、豊橋市旭町に生まれる。本名は新治。愛知県立第四中学校(現在の県立時習館高校)卒業。愛知県立第一師範学校本科第二部卒業後、豊橋市内の小・中・高校で教師として活躍。
昭和4(1929)年頃より鈴木翠軒に師事。昭和12年、文部省習字科検定試験に合格。日展入選五回。翠心会、曳杖会、豊橋洗心書道会顧問などを歴任。平成2(1990)年逝去。

鈴木翠軒(すずき すいけん)1889(明治22)年〜1976(昭和51)年

鈴木翠軒は、明治22(1889)年1月、渥美郡堀切村(現在の田原市堀切町)に長尾久治郎の五男として生まれ、本名を春視、号を翠軒と称しました。(大正2年、鈴木た志と結婚し、鈴木と改姓)
明治36年愛知県立第四中学校(現在の時習館高校)へ入学、幼少の頃より書を能(よ)くし、2年生のときには、行書千字文を愛知県主催の書道展へ出品して、表彰を受けました。明治43年愛知県立第一師範学校へ進学、翌年卒業すると、地元の福江尋常高等小学校訓導となりました。大正5年27歳のとき、懇意な医師のすすめで文部省習字科検定試験の受検を思い立ち猛勉強の結果、その難関を一回で合格しました。
大正8年、上京して丹羽海鶴に師事し、比田井天来にも教えを受けました。昭和7年、『国定甲種小学書方手本』の揮毫者となり、一切の公職を辞してその揮毫に精魂を傾注し、昭和13年に完成させました。この国定教科書の書風は、その明快な用筆と結体により絶賛され、世に翠軒流として広まることとなりました。
戦後は、昭和23年に日展の第一回審査員、昭和25年日本書作院会長などの要職を歴任し、昭和32年、「禅牀夢(ぜんしょうにびじんを)美人(ゆめむ)」で日本藝術院賞を受賞、昭和35年には日本藝術院会員となり、書道界の指導者としての頂点に立つこととなりました。この頃より、日本独自の仮名による作品の発表も増え、昭和41年完成の「万葉千首」(日本藝術院蔵)は、生涯にわたる大傑作で、不朽の名作とされています。また、同年には漢字と仮名をみごとに融合させた代表作品「菅原傳授(すがわらでんじゅ)手習(てならい)鑑(かがみ)」を国立劇場に出陳寄贈(現在、同劇場内貴賓(きひん)室に展示)しています。
ふるさとである伊良湖岬には、昭和36年に完成した万葉の歌碑「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞(いらご)の島の玉(たま)藻(も)刈り食(を)す」が建立され、昭和63年には生誕百年を記念して「桃源」の書碑も建てられています。 昭和43年文化功労者、昭和49年勲二等瑞宝章を受章。昭和51年9月、87歳で逝去。

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作品紹介

畠神社

田原市福江町にある神社。江戸時代の神社名は「五社八王子社」、その後「国狭(くにのさ)槌社(つちしゃ)」→「五社八王子社」となり、明治13(1880)年以降、現在の「畠神社」となりました。
宝永4(1707)年などの『畠村差出シ御帳』には「当村氏神」とあり、「先(戸田)淡路守様御代ヨリ御墨印御座候」と領主から黒印状を受けていたことが書かれています。

五月節句飾りの移り変わり

江戸時代になり、武家社会が成熟すると、端午(たんご)の節句は単なる武道振興の行事というだけでなく、武家にとって重要な跡継ぎの誕生とその健やかな成長を祝うものとなりました。しかし、江戸時代の初めの節句飾りは、幟(のぼり)や旗を屋外に飾る「外飾り」が中心でした。家の前の往来に面したところに柵を設け、幟や旗、飾り兜や長刀(なぎなた)、毛槍(けやり)などを立てていました。また、兜だけでなく、様々な人形が飾られる場合もありました。幟や旗は、武士が戦場において掲げたものに倣(なら)ったという意味とともに、神様が降臨する際の対象(依代(よりしろ))ともなったのです。
市中では、「印地打(いんぢうち)」が行われていましたが、いつしか石合戦から戦ごっこに変化していったようです。
江戸時代の中ころになると、兜や人形が小型化して、より精巧なものとなり、室内で飾るための「内飾り」へと変化をしていきました。これが現代に通じる節句飾りの始まりです。幟や旗は、屋外に残るとともに小型化して室内へも持ち込まれました。このため、内飾りの幟や旗、長刀や毛槍は、外飾りだったころからの名残で、必ず柵に立てられているのです。
節句人形も本来は、柵の上にあった人形が変化したものですが、子どもの健やかな成長を願い、金太郎などの英雄豪傑や「大将」と呼ばれる武者人形などが広く普及していきました。こうした武者人形も本来は、大人顔だったのですが、戦後になると徐々に子どもの顔へと変化をしていったようです。

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