夏の企画展 浮世絵名品選〜美人画・役者絵を中心に〜

開催日 2008年7月11日(金)〜8月24日(日)
(前期)7月11日(金)〜8月3日(日)まで/(後期)8月5日(火)〜8月24日(日)まで
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 7月22日(火)・28日(月)・8月4日(月)・11日(月)・18日(月)
会場 田原市博物館:企画展示室1

当館所蔵コレクションには、芝村義邦氏寄贈の浮世絵が多数あります。今回は美人画・役者絵を中心に展示します。
浮世とは戦国の世が終焉を迎え、平和となった現世をひたすら謳歌する生き方を意味します。それまでの無常観の憂世から決別した態度、すなわち、現世を楽土と見る考え方が芽生えました。17世紀後半、それが近世初期絵画の世界にも投影されて、浮世を画題とした浮世絵が成立しました。
浮世絵は、美人画、役者絵、風景画、花鳥画、相撲絵などありますが、今回は美人画・役者絵ご覧いただこうと思います。東洲斎写楽 四世岩井半四郎の乳人重の井(前期)・礒田湖龍斎 丁字屋内(後期)などを展示します。浮世世界をお楽しみください。

展示作品リスト(前期)

企画展示室1
役者絵
番号 作家名 作品名
266 歌川豊国 仙左ヱ門
311 歌川国芳 市川高麗蔵
313 歌川国芳 関三十郎
312 歌川国芳 嵐亀之丞
267 歌川豊国 荒獅子男之助輝光
269 歌川豊国 (男雛)坂東彦三郎(女雛)沢村訥升
315 歌川国芳 不破伴左ヱ門重勝
316 歌川国芳 名古屋山三元春
314 歌川国芳 出雲屋お国
271 歌川豊国 福田又八の亡霊
302 歌川国安  市川団十郎の久次
582 歌川国貞 歌舞伎十八番の内
304 歌川国安  死絵 坂東三津五郎 瀬川栄之丞
327 歌川国芳  中納言  実ハ石川五右衛門
591 歌川国貞 増補姻礼袖鏡
326 歌川国芳  此下藤吉 奥方綾の臺
336 歌川国芳  源氏雲捨遺 加久川門蔵 娘 なみこ
690 豊原国周 市川団六のあく女中高木 尾上多賀之丞のふじのや
689 豊原国周 助高屋高助の中将姫
688 豊原国周 市川九蔵の照日の前
337 歌川国芳  源氏雲捨遺 清玄 さくら姫
338 歌川国芳  市村羽左エ門
693 豊原国周 市川団十郎の九紋龍史進
691 豊原国周 市川左団次の花和尚魯智深
339 歌川国芳  雪姫
450 重春 中村歌右衛門の大川友右衛門
700 豊原国周 花勇女水滸伝
449 重春 嵐富三郎のかづま
578 二代国貞 俳優蒔絵盃 片岡仁右衛門の真柴久吉
705 豊原国周 市川小団次の藤治
704 豊原国周 沢村訥升の幸治郎
703 豊原国周 市村羽左エ門のわる物虎
607 芳幾 明治座の舞台開きの市川左団次
716 豊原国周 河原崎権之助 
711 豊原国周 尾上菊五郎の又平女房おとく
709 豊原国周 市川団十郎の叱又平
735 守川周重 市川左団治の高島升治 岩井半四郎の菅の谷

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美人画
番号 作家名 作品名
19 菊川英山  美人  
28 溪斎英泉 美人 
290 歌川国貞  当世むすめ三十六花撰さくら
291 歌川国貞  当世むすめ三十六花撰の内やまぶき
437 歌川国光 美人 

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役者絵
番号 作家名 作品名
687 豊原国周 大前友右ヱ門の鈴木主水
686 豊原国周 市村家橘の赤根半七
685 豊原国周 河原崎権十郎のきられ与三郎
684 豊原国周 沢村田之助の白井権八
683 豊原国周 春の松枝五色乃賑ひ 中村芝翫(黒船忠右ヱ門)
249 歌川国貞 高尾丸船子之七人集

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美人画
番号 作家名 作品名
14 東洌斎写楽 四世岩井半四郎の乳人重の井
43 溪斎英泉 上野の桜
44 溪斎英泉 今容音曲松の葉
49 喜多川歌麿  松葉屋内装い
52 喜多川歌麿  美人机に寄る
69 歌川豊国 当世寿の粧
194 歌川国貞  梨壺五歌仙 清少納言
197 歌川国貞  流光六花撰 朝顔
198 歌川国貞  花の宴
199 歌川国貞  丸亀屋内栄司
293 歌川国貞  百人一首繪抄 四
367 歌川国芳  七小町 関寺
402 歌川豊広 花魁と禿
418 歌川広重 美人風俗合大坂新町
447 舟調 絵合八景 吉祥院の晩鐘 お七吉三
807   和泉屋鶴の雄

※期間中、展示を変更する場合がございます。また展示室は作品保護のため、照明を落としてあります。ご了承ください。

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作品解説

死絵(しにえ)

 人気俳優やタレントが亡くなると、テレビや新聞、雑誌などで大きく取り上げられ、その情報に私たちは目を奪われます。
 これと似たような傾向が、まだテレビのなかった江戸時代にも見られました。それは、当時人気のあった歌舞伎役者などが亡くなった後、その似顔絵に、没時の年月日、法(戒)名、墓所、さらには辞世の句を添えた死絵という浮世絵版画が数多く発行され、江戸庶民が好んで買っていたことからうかがい知ることができます。
 死絵が流行したのは江戸時代後期においてで、作品としては、人気浮世絵師を描いたものもありましたが、そのほとんどは歌舞伎役者を扱ったものでした。
 芸術作品としてとらえられがちな浮世絵版画ですが、江戸の人々にとっては、大切な情報メディアであったことを死絵は物語っています。

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